カテゴリ:Meditation( 3 )

先日訪問したKaivalyadhama(カイヴァリアダーマ at Lonavla)で出会った博識高くユーモアにあふれるアーユルヴェーダーDr, Jagsish Ji に教わった「自己に問いかける就寝前の瞑想法」をシェアします。
ヴィパッサナー瞑想とは全く異なるものですので、混同して行わないようにしてください。



感じることを作り出すことなく、吸って吐く「呼吸」をただみつめます。
リラックスした気持ちで快適な心地よさを感じたら、瞑想をはじめましょう。


「Who am I 」
1、自分の生命はあとどのくらいか?
2、私は今何をしているか?
3、どこにいるのか?
4、何に自分は関わっているか?
5、私の人生の目的




この瞑想法の個人的な解釈ですが、
言葉とその意味の問いかけから起こる「心の波」を対象に、自己の本質に問いかけ、より高い「知恵」を日々の中で得るということだとおもいます。


そして、同ドクターから頂いた大切にしたい言葉。
「今の心の波に依存することなく、自分の向かいたい「高い次元」に焦点をあてることがポイントだよ」と。
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by ikimono-no-oto | 2013-11-04 23:22 | Meditation
コースの1日は、朝4:00の起床に始まります。
毎日4:30~終了の21:00時までに、1日10時間ほど、瞑想時間はあります。
(朝食、昼食、夕方のテーィータイムそして、数時間の休憩時間以外が瞑想時間)
ちなみに世界中のどのセンターでも、食事は菜食です。
※余談ですが、インドでは地域ごとに使う食材が異なりユニークなローカルフードでした。

初日~3日間までは、アーナパナ(鼻腔に集中したトライアングル型の自然な呼吸)で小さな範囲に集中力を高めてマインドがより鋭くなっていきます。
そして、4日目から「ビパッサナー」が始まります。呼吸を通じ感覚を感じ始め、からだの中をくまなく観察し始めます。むずむずするような、チクチクするような、フワフワ、熱かったり寒かったり、人それぞれに違った「確かな感覚」を感じ始めます。
また、ここからは「1時間からだを動かさない」という事が要求され、強い志と共に、強い決意「アディッターナ」の時に入ります。「からだに走る痛みに耐える」 事がどれほど大事かは、この瞑想法を世界中に広めているゴエンカ師の講和とビパッサナーテクニックを日々レベルを上げながら聞いていくことで、「痛みの元」の理解が深まります。それは、心の奥深くに宿る「潜在意識=サンカーラ」渇望・嫌悪によっておこる無意識の反応(=種となり実を結ぶもの)に繋がっていること、自身を観察しその経験から知ることになります。

日々、深まり行くビパッサナーから、より微細なセンセーションが始まります。
頭頂→つま先 そしてつま先→頭頂を1サイクルとし、意識の動きを小さなスポットで部分部分でくまなく観察し、「潜在意識」の深い感覚に触れ始めます。
ここから、瞑想者個人個人から講師の質問時間の応募者がだんだんと増えだしてきました。
自身に起こる感覚が間違っていないか? という確認とその共有を講師と共にしたいようでした。
そんな時には感覚的な「オノマトペ」を中心とした通訳が必要になってきて、沢山の感覚とニュアンスが詰まっている「言葉と感覚」の繋がりの深さという気付きが私の中にも起こり始め、それは鏡のように、質問に来てくださっている方を通じて内面の探求がより深まり始まる時でした。

ある日、「心に汚濁が生じると呼吸を乱す」とういう事がある瞑想者に向けて、講師から指導がありました。
確かに、怒りのような気持ちがこみ上げてきた時、からだが熱くなってきた時には呼吸が強くそして荒くなっていることを私も経験していましたのでその意味はよく理解していました。
ですが、そんなときこそ、「ただ観察する」というかけがえのないチャンスの時。
「アーナパナ」で心を平静に戻したら、再び全身の観察を始めます。「平静な心」で反応せずにいあられたならば、心の結び目、しこり=汚濁 は素子となり、やがては溶解し固まりは液体となり流れ出てゆく日やってきます。そのためには、こころの動きと感覚、意識、呼吸、全てを道具とし、慈しむことで私の中に始まっている感覚を受け入れ始めることが最も大切になります。そうして忍耐強く、楽観的にビパッサナーを続けることで、次第にその痛みは消え始め、更に「ハートの手術」は深みに入っていきます。粗雑な心、荒々しい呼吸に始まり心を集中する修行を始め、そして次第に変わり行く「かすかな呼吸」
心身の痛みから湧き上がる感覚に反応せず、ただ「自然な呼吸」で今起こっている感覚を感じとる意識。
「自己意識の観察」を懸命に続けることで、緩やかに「こころの変化の過程」を経て「自身の経験」を通じてこれまでの「無知ゆえの苦しみ」が少しづつ消え去ってゆきやがては消滅します。そうした浄化の道から本来兼ね備えている純粋な「こころの扉」がひらかれ「自己解放」へとむかうのです。



※この記事は、これまでのビパッサナーでの学びから、自身の体験談によるものとして書き綴りました。
 思考・行動・性格は 様々であり十人十色、その体験はもちろんのこと異なると理解しています。
 日本には千葉の「ダンマディッチャー」 京都「ダンマ・バーヌ」 の2つのセンターがあります。
 ビパッサナー瞑想コースで、ご自身の瞑想経験を大切にしてください。

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「みんなちがって みんないい」金子 みすゞさんの言葉をボタン桜が知らせてくれました。
繊細な花びらのように、心を開いていきたいものです。
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by ikimono-no-oto | 2013-04-15 23:21 | Meditation
さわやかな風にさらさらと音をたてる青くやわらかな新緑の香り・・・
咲き誇る可憐な花々、ホッと、春がやってきました。
まだまだ寒い日が続いていますけれど、寒いことでお花はいのちが永くなって、いいことですね。

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大変ご無沙汰していました。3月半ば、インドから帰国ました。
この1ヶ月はいろんなことがあり、春の訪れと共に、一段落しました。

最近のホットな出来事の一つは京都に瞑想へ行っていたことです。
「ビパッサナー」という2500年前からあるインドの最も古い瞑想法で「自己観察による自己浄化」を学びにいっていました。
シーラ(道徳) サマーディー(集中・こころの制御) パンニャー(生きる知恵)という3つの柱から「ダンマ」(=自然の法)の道を、感覚的瞑想を通じて「平静さ」を養い、そこから苦悩を根絶する技を修行し、そして心の浄化へむかっていきます。

2012年11月、インド西北部・グジャラート州のBada村にあるセンター「Dhamma Shindu」で10日間の瞑想を経験しました。ここでは、この瞑想法を世界中に伝授しているゴエンカ師の講和を聞くごとにテクニックが深まり、そして全神経を集中しだすと身体中に起こる感覚に順応するように心は浄化され、共にからだの痛みが取れていく瞬間瞬間があって、それはリアルな意識でした。
ここには、大きな瞑想ホールとは別に、個別に「セルホール」があり、大変集中できます。そこで起こった出来事から、私は心にある種を植えました。そして生涯この種を育もうと、とっても大切なリチュアルでした。
それから、このセンターでは慈愛に満ちみちた美しい指導者Gitaben氏との出会いがありました。そしてコース終了後に、私たちのエナジーが通い合っていたということを告げられ、そして「日々修行を続けること、また最低でも一年に一度はセンターで座ること」といわれ、またの再会を楽しみにお別れしました。
Bada村から、マンドヴィー港までの道、リクシャに揺られながら涙がぽろぽろこぼれだし、お母さんと離れ離れになるようなハートに深い感覚を抱きながら切なさを胸にセンターを後にしました。
この出逢いがこの瞑想をより深いものになり、翌月、2013年の新年へ向けて浄化のためにインド東北部・ウッタラカーント州のDehradunのセンター 「Dhamma Salila」 で座りました。
ここでは、宇宙の秩序がこの私の小さなからだの中に既にあると感じるすばらしい体験がありました。
そして日本帰国後に、新たな流れを感じ、内観をしたくVipassana 瞑想の参加予約をしたのですが、コースの開始一週間前ということもあり、ウェイティングリスト入り。
ダメかな、と思っていた矢先に、センターから一通のメール「奉仕者を募集しています」
直ぐに返事をして、数日後に京都のDhamma Bhanuセンターに向かいました。

キッチンスタッフとしての奉仕ボランティアができるんだろうと楽しみに、準備も万端だったけどセンターからの任務は、瞑想者と指導者の通訳兼修行者の手助けをするということでした。
そんなお役目を頂けるとは・・・・正直、自信がない。でも、こころの学びとして来たのだから、
これは私に準備されていたこと、懸命に行いをさせてもらうのみ。
こうして4月26日~6日までの10日間コースが始まりました。

コース中の10日間は、瞑想者は沈黙を守らなければなりません。
「心の平静さ」を保つために、必要な場合のみ聖なる沈黙は解くことができ、指導者の先生とコースマネージャーがその話相手となります。

朝の起床は4時
瞑想は毎日4時30分に始まり、終了の21時まで、1日10時間ほど座ります。
朝食、昼食、夕方のテーィータイム、数時間の休憩時間以外は瞑想です。(一日約10時間)

最初の3日間はアナパナ(鼻腔に集中したトライアングル型の自然な呼吸)から始めます。
コース間に、毎日、一日2回指導者の先生への質問時間があり、(希望者のみ)瞑想開始から3日目までに(アナパナ中)生徒さんに共通した質問があったのです。

「からだがここにいないような気がする」 「オーラが見える」
「自分が燃える匂いがする」 「からだが膨張していくよう」
などなど、
多くの瞑想者は空想をしながら時を過ごしていること、そして心のクセ、思考や感情から心配事が湧いてくると意識がさ迷い始めるという事でした。
目を閉じて「想像で時を過ごす」ということは容易に時が過ぎ去っていきます。
ただ「自然な呼吸で平静でいることを」主旨とするこの瞑想法には、空想やイマジネーションはあってはなりません。そんな時、指導者は「意識がここにいない事にまず気付くこと、そして次にアナパナをすること。ただし、それは通常のアナパナより5~10分ほど強くした呼吸であって、集中が深まったら次第に、「自然な呼吸」に戻していくように」と今ここにあるリアリティーを心とからだの体験から感じる訓練法を教えます。

日々、瞑想者の質問事を聞きながら次第に感じてきたのは、
「一人ひとり、全く違う想いを体験している」
という事。私には感じたことのない感覚の話もよく聴きました。

多くの人はからだに走る痛みから、心に否定的な感情が湧き上がります。
ですがそれは、「今ここに意識があるという証」
始めは粗雑な感覚を感じ出し、アナパナの呼吸法を通じながら次第に小さな範囲に感覚を感じ始めると、
これまでの人生で蓄えた深い根の「サンカーラ」がからだの感覚を通じて現れ始めます。

瞑想は自己の内観
体験はそれぞれに異なりますので、人にシェアする必要がなく、話す必要もないのです。
これが「聖なる沈黙」の大切さです。
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by ikimono-no-oto | 2013-04-14 00:04 | Meditation