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最後の投稿は、「火傷をオイルで治癒」でしたが、あれから、5年もの月日が流れ、そして、今だインドで暮らしている。

何年経っても、この国の人々のマインドと私のマインド、生き方が合わない。
そしてこの経験は、共有、共感できる人も誰一人いないから、自分で咀嚼し消化している。

しかしながら、年々増す「互いに生き方が違う」という思いが、私の日々の暮らしに悪影響を及ぼし溢れ出る寸前、なかなかの限界である。
こうなったからああなる、みたいな結果が読めるパターン化現象、笑えず、頭の中を巡るだけではもう物足りない。
なので、こうして文章にしてみることにした。

ただ、どう考えても感じても、未だに理解できないことがある。
大半のインド人が「他者に自分の重荷を背負わせる文化」という事。
今日は、まさにそんな日であった。

メイドが子供を連れて我が家に入ってきた。仕事開始の時間から既に20分は遅れている、がそれはこの国では許容される。
子供同伴の事情を聴くと、「高熱があるから誰も面倒を見れないので連れてきました。何もしないからただ座らせてあげてください」
と言われるも、1時間以上も子供が黙って座っていられるわけがない・・・と私は瞬時に思った。
子供同伴でメイドが家の掃除をするという経験は、この長いインド暮らしの中で1度もなかった。なので、仕方ないかと一度は許容してみた。
まあ、予想通りである。
まだ5歳の彼女にとっては物珍しいものが並んでいたのか、手元に近いものをあれこれと触り始めた。
その間、私はある依頼事をしていた方に電話していた最中だったので目を配るだけだったが、それどころではなくなりメイドに「子供をどうにかしてくれる?」と何度か言うと、彼女はその都度子供に寄り添い掃除の手を止める、その繰り返しとなった。
それは当然の流れであるが、彼女は、我が家に仕事をしに来ていて、ここはプレイルームではないのだから。

このままでは私も気が散ってしょうがないと、携帯で話をしていた方にお詫びをお伝えし、途中で電話を切った。
そして、メイドをシェアしてくれている同じマンションのインド人の友人に相談することにした。
友人に困っているという事情を話し、だれか子供を預かれないのかな?と言うと、

「NO This is Indian way.You need to understand.Kids can stay your home. You have to understand Humanity.」
訳:インドではメイドの子供も家に来るし、その子はそのままにしといて、あなた、ヒューマニテイを理解しなさいよ。

と半ば命令口調で言われ、私の暮らしの一部にまで指図されることはないんだけど、と私は少し腹が立った。

うーん、「Humanity」か、とよくよく考えてみる。
人類みな兄弟、助け合い?そんな訳ないよ。みんな違う生き方してるんだから。
私にとってのHummanity とは「許容する」ということ。だから、許容できない事ならば当人にとってはそれは相手からの強制、脅迫的な強いフォースを受ける事となりえる。
私の理解する「Humanity」は自分の志で働くもの、自発的な心の在り方。
誰も被害を被らない方法をとること。

そもそも、メイドの子供は熱をだしているから学校を休んだ。
そして、私は、その子供がいる事で、我が気が散るので家には置いておけない。
「子供がいて困る」、私の思いを伝えたところでこの人は聞き入れない。というのも、彼女が困るを理解できないのは、本人の経験によるものだからである。家でユーチューブにテレビを観て、お菓子を食べてお昼寝する呑気なインド女主人を毎日見慣れ過ぎているからという推測もできる。
私には我が家で日々、静かにやりたい事がある、それが何なのやら彼女にとって無関心なことで解るわけもないのだ。ならば淡々と仕事をしてくれたらいいのに。何人も日本人の家庭を相手に渡り歩いたメイドなら淡々と仕事をする、それを解っているが、不運にも、私の住むここは外国人未開の地、「The INDIA」そのものなのである。「私が」の塊なのである。

話を戻すと、そもそも、この話の主役は「連れだされた子供」である。
メイドが仕事を休めば、子供は寝て安静にしていられたのだ。メイドが子供の体調管理を優先させる、それで済んだ話ではないのか。
しかしながら、彼女は、働くことを選んだのは、言うまでもなく、お金が必要だから。
まき散らす負の連鎖をHumanityとは言えないかな、私にとっては。
それで、このメイドは辞めた。何事も、お互いを必要とする関係性でありたい。

今朝は、シヴァ神を祝う爆音と共に1000人規模の大パレード、家の前の道路がお祭り騒ぎになっていた。
そして朝からガスが停まっていて料理ができない。
そういえば昨日は、ベットが出来上がらなかったな・・・と更に、また違う話題を思い出す。

来客があるのでベットを今月上旬に新調、それから15日が過ぎ、いざ組み立ての日になるとパーツの破損、そして木が削れていたりと箱の開封早々に不良パーツが次々に判明。注文日から経過した時、そしてお金の流れと互いにロスだらけ。
結果、来客用ベットは準備出来なくなった。
最悪の結果となった訳だが、この続きがある。
返金要請と不良品の撤収をオンラインで、相手に直接希望を伝えられない上に、この作業効率の悪さと面倒をこちらがかけられてしまうのだ。
不良品回収は、回収担当業者が後日行う、というこの国ならではの分業制。配達先の住所から同じく、返品も行わないといけないのだそう。
配達業者は家具やとは別会社、となると責任追及は誰の手にもない。
最悪の事態として「品を投げ入れる」そんな無責任な配送者人が一人でもいようものなら、その一連の流れは最終的に、購入者がその面倒事に巻き込まれるのだ。それを当たり前とするこの国の社会の流れで生きないといけないのは、容易ではない。
不良の残骸について書くと、何の素材からつくられたものか不明だが、この国の梱包箱はいつも異臭がする。よってその箱が置かれた部屋は回収日までしばらく異臭続きとなる。
とにかく、すべてにおいて他者に迷惑をかける国なのである。鋏の渡し方ひとつでもわかる。
鋏を貸すと刃を私に向けて返す人たちだから。
自分中心という考えが何十億人もいるこのトリッキーな国、いつでも脱出したいとその縁が切れる日を願っている。

だから、日本人って凄い国民性、と何事においても母国を振り返るのである。
効率の良さもさることながら、相手に迷惑をかけないような思考錯誤と心の動かし方ができる。
そんな国民性、他にいるんでしょうか?




# by ikimono-no-oto | 2024-03-20 17:43 | 日々の事
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油分のチカラ!_f0227590_01360966.jpg
エメラルドグリーンの海に入ると、珊瑚にイソギンチャク、トロピカルカラーの珍しい魚たちに魅せられ、シュノーケリング夢中に。あっという間に2時間が経過していました。
その数時間後、肌が赤黒くなり始め、なんと、日焼けが火傷の域に達してしまったのだと気がつきました。その夜には、衣類が肌に触れるのも我慢できないくらいヒリヒリと痛み、ホテルで氷をもらい冷やすも時既に遅し。翌朝、歩けない程足がパンパンに腫れ上がっていた。
何度も水で患部を冷やし、そして、天然のアロエベラにナイフを入れて果肉をとり出す。ねっとりとしたエキスも一緒に肌に塗り込むも熱を帯びた足には水分が即座に乾いてしまい、何度も繰り返し塗り込む。
思うように歩けないのにもかかわらず、フライト日だったので、ただ痛みを我慢するしかなく、なんとか空港に到着。
だましだましで、なんとか無事に家に着きました。
翌朝、痛みが更に増し、そして肌も極度の乾燥で突っ張り、いよいよ歩けなくなった。 
アロエベラを塗り続けつつ、バケツに水を張り冷やしつつも、我が家にあったヘンプoilを塗ってラップで保湿。
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その数時間後には肌の表皮の突っ張りがマックスになり、そして足首がパンパンに浮腫み、水膨れが現れ始めた。
これはもうお手上げと思い、インドの伝統医学のアーユルヴェーダクリニックに駆け込んだ。そこで頂いたのがこの塗り薬。
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ギー(精製したバター)が主成分のピッタ(火の要素)を下げるペースの処方をもらい、早速、家で使ってみたのです。
ただ、患部に直接このペーストをつけるだけなんですが、油分がとても強く、肌が全く乾かない。そして、匂いがバターに草を混ぜたような牧なかなか不快な匂いと良いものではないけれど、痛みのためならと四六時中つけてみること3日間。ようやく効果が現れました!
皮が島のようにまとまって剥がれ始めると同時に、痛みまでも消えていきました!
かゆみに悩まされることなく、その後一週間後には新しい皮膚が再生されていました。
同じく、日焼けから火傷した主人は、痛みが耐えれる程だと、このペーストを塗らなかったのですが、治りが遅く、その後も痒みと戦ってました。
アーユルヴェーダの自然由来の薬の効果の高さは、想像以上に効果を発揮し、凄かったです!!

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# by ikimono-no-oto | 2019-04-27 18:59 | INDIA
インドの月刊情報誌チャロ― 3月号の特集に、
「AJRAKH草木染の宇宙」~幾何学・花模様の布~
が掲載されました。

インドの草木染めの布、Ajrakhについて、記事を書きました。_f0227590_20210616.jpg

※見どころ※
草木を染料とし、木版捺染技法で生み出される幾何学紋様布「AJRAKH」(アジュラック)。
インドでは、西部に居住する一部のコミュニティーの装束として、暮らしに欠かせない布とされてきました。

私は、2011年、長年憧れていたAJRAKHの布工房に辿り着きました。その後、世襲で受け継いでいる技法を教えてもらいながら、共に布づくりをしていく中で、職人から話を聞く機会が沢山ありました。
中でも、私は、この布の源流について興味をもち、その起源を現パキスタンとし、古代インダス文明期から製作されていたという可能性を秘めながら、数千年もの時を遡るルーツの深い布だという事に関心を寄せました。

このAJRAJHの布職人達は、インダス文明期の末裔と信じており、彼らのルーツに関連する古代遺跡の出土品をみては、その柄を木版に彫り、復刻をさせ、蘇った布が現在のAJRAKH布の中に存在し、生き続けています。このように、歴史ある布の技法、柄、染め方が現代に投影され、連綿と続く人と布の繋がりは大変興味深い所でもあり、1枚の布を巡って時空をワープするこの感覚は、AJRAKHならではだと思います。

それから、この布は誰がどんな風に使っているのか?という事にも触れていますが、現地のマーケットや村でこの布を使う人を見かけ、時に直接話を聞くことでその用途がわかってきました。
そして、重要なクリエイターである作り手については、現在の布職人の姿と、彼らの自然に対する意識について紹介しています。

インドは州を超えるとまた違う布が存在し、多種多様な布が存在する布大国。その中でも、人と自然が育んできた宝の遺産、アジュラックの魅力を本ページにたっぷり詰め込みました。
どうぞ、おたのしみください。

# by ikimono-no-oto | 2019-03-01 20:04 | INDIA
「Surya Namaskara」と呼吸、意識を向ける「チャクラ」_f0227590_01062931.jpg

# by ikimono-no-oto | 2018-04-05 01:07 | YOGA / Meditation
高校生の頃、お弁当を食べながらふと周りを見渡したら、自分のお箸使いの悪さに気がついた。
それからというもの、訓練を重ねること1年、やっと正しい持ち方になった。
あれから何年も経ち、海外で過ごす機会が増えた暮らしの中では欧米の人に持ち方を教える機会が増えた。
今度は、和食屋で外人の友達に「お箸を置く位置がなぜ横置きなのか?」
と聞かれてうーん?なんでだろうと、答えられなかった。

ある日のこと、自然療法の提唱者「東城百合子」」さんの本をめっくっていると、その答えに相応しい文章がああか書かれていた。
「お箸を縦ではなく、横に置くのは「神様と人間の境界線をあらわす」という意味から。
お箸の向こうは食べ物があり、それはお天道様さまからの頂きものである。
そして、そのおさがりを私たちは頂き、自分の「いのち」とさせて頂いているのだ」
と。

そう知ると「いただきます」の意味がより一層深くなり、ありがたい気持ちはお作法と言葉を介し、心身で感じられる様になる。日本人の精神性に触れ、日本人としての誇らしさと素晴らしさを改めて感じた「お箸」のお話でした。

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この写真は、五味調和の食事を頂ける宮崎県綾町にある「オーガニック郷田」の食事。
季節の旬がぎっしりとつまったごちそうの数々、心とからだに活力が湧いたのを覚えている。
その味が今尚、忘れられません。







# by ikimono-no-oto | 2018-03-02 12:43 | Body and Mind